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広島地方裁判所呉支部 昭和29年(ワ)97号 判決 1957年4月01日

原告

花家テルコ

被告

時広登記雄

主文

被告は原告に対し金五十万円及びこれに対する昭和二十九年四月二十五日より右完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

訴訟費用は被告の負担とする。

この判決は原告において金十万円の担保を供するときは仮りに執行することができる。

事実

(省略)

理由

被告は昭和二十八年八月八日自動三輪車広第六―一三三一九号を運転して広島県賀茂郡乃美尾村(現在は同県同郡黒瀬町と改称)黒瀬牛乳販売所から呉市宮原通に向う除中、同日午後十時三十分頃時速約三十粁にて呉市本通七丁目新国道交叉点に差掛つたが、折柄前方左側電車軌道上には広方面行電車が停車中にして同地点は呉市内における最も交通頻繁な処で、又新国道完成直後にて車馬は対面交通をしていたに拘らず、時速を二十五粁位に減じた儘進行したため同所において前方右側歩道から右電車に乗車しようとして走り出た、原告の夫であつた訴外花家浅次郎を自己の運転せる前記自動車の運転台の直前に発見し急停車の措置を構じたが及ばず右訴外人は該自動車荷台の前角に接触して同所路上に転倒し、因て脳挫傷及び頸部打撲症を負い遂に同年同月十三日呉共済病院において死亡するに至つたことは当事者間に争いのないところである。

右訴外人の死亡事故が被告の過失に基くものであるか否かについて検討するに、右争いのない事実に成立に争いのない甲第二乃至第七号証及び第八号証の一、二、乙第一及び第二号証、検証並びに被告本人尋問の各結果を綜合すれば、被告は昭和二十八年八月八日午後八時頃自動三輪車広第六-一三三一九号を運転し、その助手席に訴外大林八外を同乗させて広島県賀茂郡乃美尾村(現在は同県同郡黒瀬町と改称)黒瀬牛乳販売所を出発し呉市宮原通五丁目中川牛乳店に向う途中同日午後十時三十分頃時速約三十粁にて呉市本通七丁目新国道交叉点に差掛つた。当夜はやや曇り勝ちであり、当時同所新国道は拡張工事中にして被告の進行した箇所は被告の進行方向に向つて中央より右側の最近舖装された幅員八・七米の直線、平担な車道にして該国道の中央より左側は未舖装にして、その左端に電車軌道があつた。同交叉点附近は呉市の繁華街に近く交通頻繁な処で、当時は夏季のことで相当の人通りがあり商店の照明等によつてかなり明るかつた。折柄同所本通七丁目停留所に広方面行電車が停車中であつたが、被告はこの電車に気付かず、ただ該車道上を被告よりみて前方右側を時速約三十粁で乗用車が前照灯をつけたまま進行して来るのを認め(並んだ時互の自動車の間隔は約二米であつた)たので、時速を約二十五粁に減じ警笛を短く只一回人が気付かない位の程度に鳴らしただけで漫然と進行したところ、偶々訴外花家浅次郎が停車中の前記電車に乗車しようとして被告の進行方向に向つて右側歩道より前記乗用車の通過するのを待つて該車道を横断しようとして走り出たのを自己の運転せる前記自動車の運転台の直前に発見し、周章急停車の措置を構じハンドルを左に切つたが及ばず、該自動車荷台の前角を同訴外人に接触させ同人をしてその場に顛倒させ、因て同人に前記の如き傷害を負わせそのため同人をして死亡するに至らしめたことが認められこれに反する証拠はない。

思うに自動車運転者たるものは自動車を運転して前示状況のような箇所を進行するときは、電車の停留所に電車が停車中か否かを確認する必要のあることは勿論、電車に乗車するため車道を横断する者があることは当然予測さるべきものであるから、十分前方及び左右を注視し警笛を連続吹鳴して横断者に進行自動車の存在を知らしめる外、急停車の措置が直ちに効力を生じ得る程度に速度を減じて徐行し、且つすれ違う自動車のある場合は尚更慎重を期して徐行し以て事故の発生を未然に防止すべき注意義務があるものと云うべきところ、前示事実によれば被告は以上の義務を怠り、前方から進行して来る自動車を認めながら僅に時速を二十五粁位に減じたのみで進行し、又当然認むべき停車中の電車さえ認めず、警笛も僅に一回、而も人が気付かないかも知れない程度に鳴らしただけで漫然進行したため本件事故を惹起するに至つたものというべきであるから、本件事故は被告の過失に基くものといわなければならない。

そうすると原告が右訴外人の死亡当時同訴外人の妻であつたことは前記のとおり当事者間に争いのないところであるから、被告は本件事故のため右訴外人を死亡させたことにより同訴外人及びその妻である原告の蒙つた物心両面の損害を賠償する義務があること勿論である。

よつて進んで先づ右訴外人の受けた財産上の損害の額について考察するに成立に争いのない甲第一号証、原告本人の供述及び訴外花家浅次郎を撮影した写真であることは当事者間に争いなく、原告本人の供述によつて本件事故の二日前である昭和二十八年八月六日に撮影したことが認められる検甲第一号証を綜合すれば、訴外花家浅次郎は明治三十一年六月一日生にして本件事故当時満五十五年二月の普通健康体を有する男子であつたことが認められ、満五十五歳の男子の平均余命が十七・五五年であることは厚生省統計調査部作成の第九回生命表によつて明らかであり、原告本人の供述によれば右訴外人は本件事故当時イギリス連邦軍のボイラーマンとして勤務していたことが認められるので同訴外人は本件事故がなかつたならば少くとも六十五歳位まで即ち将来尚十年間は或る程度の体力を必要とするボイラーマンとして働くことが可能であつたと推認することができる。而して成立に争いのない甲第九号証及び原告本人の供述によれば本件事故当時右訴外人のボイラーマンとしての給料は所得税等を控除し差引月収金二万一千六百一円であつたことが認められるので特別の事情のない限り右訴外人は本件事故がなかつたならば将来十年間に亘り毎月右と同額の収入を得ることができたものと認めるのが相当であり、尚原告本人の供述によれば右訴外人の生活費が毎月少くとも金七千円を要したことが認められるので、前記十年間の得べかりし収入から同期間毎月金七千円の割合による金員を控除し、更にホフマン式計算法により年五分の割合による中間利息を控除し、事故当時における一時払額に換算すれば金百三十九万二千五十円となるところ、本件事故当時被害者訴外花家浅次郎には養子訴外花家研介が居り原告は右訴外花家研介と共に右訴外花家浅次郎の遺産を相続したことは当事者間に争いがなく、そうすれば被相続人訴外花家浅次郎の遺産に対する原告の相続分は三分の一であるから原告は右金額の三分の一に相当する金四十六万四千十六円の損害賠償債権を承継したものである。而して本件事故に関し原告は被告より見舞として時価金四百円相当の果物等を又香典として金一万円をそれぞれ贈られたことは原告の自認するところであるから右金額よりこれを控除するときは金四十五万三千六百十六円となる。

次に原告が本件事故当時訴外花家浅次郎の妻であつたことは前記のとおり当事者間に争いのないところであるから原告が妻として右訴外人の死亡によつて受けた精神上の苦痛に対する慰藉料の額について審究するに、前記甲第一号証及び原告本人の供述によれば本件事故当時原告は令正に四十五歳に垂んとし、訴外花家浅次郎と昭和三年に婚姻して以来本件事故によつて右訴外人が死亡するまで二十五年間同訴外人と同棲し同人の給料を主な収入として家計を維持して来たが同人の急死により生計は忽ち困窮に陥り、精神上受けた苦痛は甚大であつたことが認められ、その他本件事故の状況並びに右各証拠、前記乙第二号証及び被告本人の供述を綜合して認められる本件両当事者の資産状態、家庭事情、本件事故発生後の処置等一切の事情を斟酌して原告に対する慰藉料の金額は金十万円を相当と認める。

従つて被告は原告に対し、前記相続による財産上の損害賠償金中その請求する四十万円及び前記慰藉料金十万円右合計金五十万円並びにこれに対する本件訴状送達の翌日であること記録上明らかな昭和二十九年四月二十五日より右完済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を支払う義務がある。

よつて原告の請求は全部正当としてこれを認容し、訴訟費用の負担について民事訴訟法第八十九条、仮執行の宣言について同法第百九十六条を各適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 石見勝四 常安政夫 柳瀬隆次)

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